10代で死ねるチャンスを本気で逃しちゃったからさ、

泣きまくった、久しぶりに男の前で泣いたなあ、はあひいふう。はぁ、とかへぇ、とかの相槌ばっかでオナニーにはちょうど良かったなあ、死にたいなあ。看護師さんはやさしくて、先生はわたしのよくわからない言語の話を笑わずに聞いてくれて、何言ってるのかわかんないみたいな顔せず真剣で、心理検査の先生もわたしが「この絵と気が合わない!怖いより不快!たぶん向こうもわたしのことがきらい!」と言っても笑わなかったな、ここの病院は笑わない人ばっかりだな。

少しの勘違いをでっかく捉えて、しにたくなって、床殴りながらしゃくりあげながら太ももにあざ作りながら、「ああ、明日外出禁止がとけるなあ、コンビニでカッターでも買ってやろうかなあ」とか考えながらずっと泣いてた。好きな看護師さんが「ももちゃんを見た瞬間からかわいいなあ〜と思ってたけどね、病室の机にシルバニアたちを看護師側に向けて置いてくれてるのを見つけた瞬間もっとすきになったよ」と言ってくれて、うれしくてブスな笑い方しかできなかったなあ。

わたしが入院してから、初めて泣いた時おじさんに電話かけて「しにたいよーしにたいよーーーー」って言ったらその人いつものトーン、音で「まだ死なんでもええんちゃう?」って言ってくれたなあ、この言葉何回目だろうなあ。

まいにちまいにち、採血したりレントゲン撮ったり脳波はかられたり、絵を見て何を感じたかだとか 意味がよく分からない問題を勘で答えたりだとか、まいにちほんと、なにやってんだろう。

わたしがなりたかった大人はこんなんじゃなかったなあ。

 

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みじめじゃないしかわいそうじゃない

ただ、そのまんま一緒の家に帰って一緒にごはんたべるような そんな関係でいたかっただけだよ、家族とかいう括りで縛られずにさ。

 

もうこんなこと書くの、最後にするから気持ち悪い文を愛おしく撫でてスクロールしてくれる?ごめんね。

まずひとつ、過去の精算だけは絶対にさせないから。あんたが謝って、わたしが赦して、はい円満 元通り、んなわけあるかよボケカスが。

好き女に泣きながらでんわをかけた、壁の薄いこの家で家族に泣いてる声を聞かれたくないからロフトにあがって声を殺しながら事情を説明した。好き女は否定も肯定もせずに、ただただ聞いてくれた。それだけが愛だった。未だにわたしが家族のことで愚痴を零すと、ただただ聞いてくれる。否定も肯定もせずに。愛してくれる。突きつけられた離婚届けを躊躇いもせずに書き始める親がなんだかおかしくて、それでいて頭が真っ白だった。へえ、家族ってこんなもんなんだ。わたしが愛してたものってこんなもんだったんだ。

母親がいなくなってから、父親と兄は妙に優しくて気持ち悪かった。兄の誕生日に父親が柄にもなく写真撮ってて、家族3人で撮った写真を印刷して額に入れてリビングのカウンターにいつのまにか飾られてた。なんでこういうことが、お母さんがいたときにできなかったの?なんでそういう寄り添いを、あーもういいよこの話は。

"愛し方が求められてる愛し方と違っただけで、他の人の手に渡ってしまうのさいあくすぎる そんなもんなのか愛って" これ、裏垢につぶやいてたツイート。これが真理ね。終わりだよ、愛なんて。リスカもアルコール依存も鬱もなんにも理解できない父親は、悪くない。理解して欲しいとおもった母親も悪くない。誰も悪くない。超えちゃいけないラインを超えたのはあんただよ。

 

父親のことも母親のことも憎みきれずに、未だに私は定期的に実家に顔を出すし、母親が好きそうなヘアゴム 化粧品 なんだかんだ買ってしまうよ。渡す気もないけど。

愛も恋もクソッタレ。わたしはかわいそうじゃないよ。

抱きしめて、それからばいばい

可哀想に価値なんてないよ、ネットで有名になってもいいねがどれだけ付いても現実は変わんなかった分かんなかった普通に絶対曖昧確実だった

たまには思想だけじゃなくて昔みたいに日記書いてもいい?オケ、書くわ。

最近は、仕事を休みまくり実家に帰り、居場所がないなーでも大事にされてるのが 甘やかしてもらってるのが痛いなーまだ一緒に居たかったなーなんて贅沢なことを考えていて、ネット通販が趣味の買い物依存になってます。兄の誕生日を祝ったり、バレンタインチョコのレシピをぐぐったりティックトックで探したり、おにいさんとご飯に行って家に行っておにいさん家のわんのおくらともふもふ遊んだり、たまに八つ当たりしてごめんね捨てないでをしたり、おにいさんが好きなキャラクターのガチャガチャ見つけてこっそり回してプレゼントしたり。なんだか、穏やかですねこう文字に起こすと。でも毎日夜には泣いちゃったり、薬のんで紛らわしたり、トイレで気絶してたり、意味不明ならいんを送りまくって不在着信が溜まってたり、馬鹿なことしてますよほんとに。

今ふと思ったんだけどさあ、わたし未だにおにいさんのこと名前で呼べなくて、出会い方が出会い方だったから、今更素直になれなくて「きみ」とか「おにいさん」とか、呼んで話しかけたりするんだけど、いつか名前で呼べる日が来るのかなあ。わたしが呼べるようになった頃には、すなおに好きって言えるようになった頃には同棲してるのかな、結婚は絶対したくないってわたしが言ってもそばにいるって言ってくれたあの人を信じてみてもいいのかな と最近は思ったりするわけ。はずかしいね。

あと、めちゃくちゃどうでもいい話をすると、noteじゃなくてはてなブログってとこにわたしの強い意志感じねーの?ってはなし。これツイートもしたことあるけどさ、はてなブログってnoteよりかは人口少なそうだし、浸透してない気がするし、自撮り界隈なんかをやってる女の子大抵noteだし、そっちの方が見て貰えるのわかってんだけど、わたしははてなブログが良くて、だって登録とかめんどいじゃん。これ。なんか使いにくいし見にくいし、でもそれでも読者登録してわたしのブログの通知とってくれてんのがねえ、愛おしくて。noteはすきなおんなのこのブログ読むためにしか登録してないし、昔は下書きを保存するのに使ってたけど今もう使ってないし、iPhoneのメモに書くのが癖になってるし。どうでもEねゴメン。アルファベットだと私はMがすきだよ。

結局愛ってこんなもんかーと絶望したんだけど、仕事をしてなくても自撮りを載せてなくても毎日日記をdmで送ってくれる子がいるとね、あーこれが愛か、綺麗だなあなんて思ったりもするよ。都合いいよね、ごめんね。感情の起伏がはげしいのほんと、困る。今は市販薬でふわふわちょっと吐き気、みたいな状態で書いてるんだけど、意味がわからないぶんがあっても許してください、でも本気で書いてる、全部のブログ。

最近はともだちのおんなのことね、食べたものをひたすら無言でらいんで送り合うってのにハマっててね、写真にペンで一言添えんの。ワンホールのケーキの写真に「兄のたんじょうびだったよー!」とか。その子は前、中華まんの写真に「中華まんフェスに行ってきたよ(中華まんの絵)」とか書いてくれたなあ。生存確認になったりするのでわりとおすすめ。たのしいし。ひとの日常知りたいし。ひとりじゃないんだなーになれるし。

今日はおにいさんに早めのバレンタインチョコを渡してね、ガチャガチャまわしにいこー!て約束してるから回しに行くよ。朝からこんなどうでもいいブログのせてごめんね、少しでもわたしのこと知ってね。

 

わがまま1個だけ言うとしたら、そのまんまわたしのこと心配していてねこれからも。その度にあんしんさせるから。

 

 

 

 

 

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わたしの神様とらないで

腹いせに死んでみてもいいかとおもった、そんな勇気も出せず舌ピを開けて終わったけど。これまで人生変えたくて仕方なくて髪を染めたりピアスを開けてきたけど、もう開けない!って決めた瞬間に親がその機会を与えてくれて(これは最大限の皮肉)案の定わたしは舌ピを名前もなにも知らない男の人に開けてもらって、馬鹿みたいにまたピアスが増えた。

この事、前のブログで書いて全部終わりにしようと思ってたんだけど、わたしの中でまだ過去にはできないみたい。死んでくれ、本当に。1つ前のブログは親に向けて、ある男に向けて、わたしに向けて言った言葉しかないので読んでくれてる人がなにか思ったり傷ついたりする必要は絶対にないです。お願いだから傷つかないで。勝手にわたしに救われてください、うれしいから。わたしは神にも教祖にもなれないけど、ただの女だけど、それでも それが存在価値として付加価値になるから。付加価値も付属品も他人に与えられたものだとしても、それを厳選し自分から歩み寄って引き寄せるに相応しいよ。だいじょうぶ、手に入れた知識も価値も全部きみのもんだ。

 

わたしはね 本当に意地が悪いんですよ。好きとか言うより執着してんの、おにいさんに。わたしが今よりどん底にいて、なんにもできなかった時に出会って外の世界見せてくれたのがおにいさんだった。おにいさんは出会った時から多分わたししか見てないのに、わたしは数人の男の人と連絡をとってみたりして、会ったりして、最低なことを沢山したんだよ。足掻いてたとか言うと聞こえがいいけどさあ、わたしなりに必死だった 今、現在、その時、あの時、そう、今、今ね、1人の男の物になっちゃったらもう二度と離れられない気がしてた。案の定2年?3年?経った今も離れられてないよ、間違ってなかったねあの時の私、勘は当たってたよ。

おにいさんは酷く優しくてたまに酷く残酷で、歳が何個も何個も違うからやっぱり大人で、でもたまにクソガキでさーーー、一緒に居て疲れますよそりゃ、人間だし。そのおにいさんが話しかけてくれた時、たまにわざと無視すんの、気持ちいいから。聞こえてないのかなってもう1回話しかけてくれるのが、わたしのことを思ってくれたその一瞬の時間が限りなく愛おしくて、わたしに話を聞いてもらいたいんだってにこにこしちゃうから、無視しちゃう。きもちわりーでしょ、わたしの傷痕を撫でるおにいさんの気持ち悪さにわたしはブチギレますが、おにいさんもここはブチギレていいとこなのに、これまで1度たりともブチギレられたことはありません、なんてこった、やっぱ大人はちげーな。

言葉は簡単に思いを伝えられる手段だけどね、でも簡単に伝わりすぎる、簡単すぎんだよ。言葉は軽い。だから仕草、感情の揺れ、視線、言動、ひとつひとつを逃さないように見てなきゃわたしは愛を感じ取れない。紡がれるその言葉を信用してないから。紡がれた言葉がなんであれ、もう1回話しかけてくれた っていう行動に愛を感じるって話なの。諦めるんじゃなく、聞いて欲しいって思ってくれたことにわたしは愛を感じるの、内容とかはどうでもいい。言葉なんて簡単に紡げるし。

だからと言って、わたしの神様はお前じゃない。

言葉で紡がれる愛は軽い、暴力的な距離の詰め方で簡単に呟いちゃえば距離が縮まって一瞬でともだち以上になれたりだってする。それがとてつもなく怖いの、言葉をわたしは誰よりもある意味信じて 大切に尊いものとして扱ってるから。声に出す言葉は信用出来ないけど、文字として紡がれる言葉は信仰してんの、ウケるでしょ。笑っていいよ、馬鹿にしていいよ、ノーダメだから。そんぐらい信じてんの、この尊い文学を。

 

 

何事もねえ、ハードルが低い方がいいよ。信じた矢先に裏切られるなんてよくある話だし、信じてなかったらノーダメだったしね。何か新しいこと始めるにもとりあえずやってみるか!の精神でやれば案外大功を成すかもしんないし、可能性はほんとに無限だと思う。だってわたしのブログだってこれ日記にしか使ってなかったから長年のインターネットフレンズの2人しか読者いなかったからね。今じゃたくさんいてくれてびっくりなんだよ、読んでるかは別として。気の持ちようなんて言葉があるけど、物事によっては本当にそうで ハードルが低けりゃ低いほど、生きやすくなる。これはガチで。何をするにも挑戦的になれるし、裏切られたとしてもそもそものハードルという期待値が低ければそんなもんか、になれちゃう。その代わり信仰するものが減るけれど。だから無機質を愛すんだよ、わたしだったら言葉や文字を信仰しているし、絶対に裏切らないという確実なものを愛すの。わかるか?人間は結局人間だよ、神様じゃないんだよ。悲しいけど。

このブログはわたしの思想ひとつひとつを少しだけ抽出して書いたものだけど、伝わったかなあ、伝わんなくてもいいんだよ、嘘伝わってー、だってかなしいじゃん 寄り添うことも呆れられるのは。

わたしの中の全てがきみにわかってもらえちゃう様な簡単なものならここまできみを愛してないし、ここまで執着してない。心だけ♡からだだけ♡上等だよこの野郎、わたしがわたしである以上理解されないのなんて当たり前、理解して欲しいとも思ってないね。理解してくんないけどそばにいてくれるのが愛じゃないの、理解したいとは思ってくれてても理解できないと弁えて寄り添うのが愛なんじゃないの、愛を軽視してんじゃねえよ。

わたしのあれそれ、無くなった時に きみがなんか違うってなった時に やっぱりきみしか!♡になれなかった時に 絶望こそが光り輝いてわたしのあたしのお前のてめえの臓物中身外見心臓心がぜんぶ、ぜんぶ全部全然だめな孤独がチラ見えして吐き気がする度にわたしを思い出して欲しいの。

 

おねがい、ポップでラブな展開はもう見飽きたでしょ。

 

 

 

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勝手にしあわせになって死んでくれ

だいじょうぶになるのが怖いって初めて思った

このまま時間がわたしを穏やかにしていくのが怖い。今は絶対に会いたくないと思ってる男に会って普通に世間話を出来るくらいの気持ちになってしまうのが怖い。絶対に許したくないのに。 暗黙のルールが増えてしまった、居場所があるのに無くって居心地の悪さから避けるようになってしまった、気を使われてやたら優しくされるようになった、連絡来るときもちがぐちゃぐちゃするけど無かったら心配だとか、わたしのきもちだけ置いてけぼりでこの毎日が日常になってだいじょうぶになってく怖さが全部可視化されてる、幻覚じゃないこれは、絶対に 84錠24カプセルで見せられたあのふわふわした靄がかかった白くて黒いグロい光景じゃない。悔しいけど確実に現実だった。

孤独を抱きしめた結果がこれかよ、て思ったことは 確実にあった、人生で1度だけあった。やるせねー気持ちと殺してやりてーの気持ちが綯い交ぜになって「あいつ殺してわたしも死んだる」て最悪で見方によっては最高に強い気持ちが出来上がるまで時間はかかんなかった。時間さえかかってくれればどうにか諦められたのかな 時間がかかればかかるほど決意は固かったのかもしれない。ねえ、わたしが「もっと好きに生きていいんだよ」って言ったあの言葉 そんな意味じゃないんだよ、そんな意味になるために言った言葉じゃなかった。今更なに言っても届かないし意味が無いけどさ、四畳半の煮詰まった甘い地獄でもうすぐいつかは捨てられる痕跡を必死にかき集めて隠してる。捨てられたら、本当に忘れてしまうかも、この復讐も悲しみもぜーんぶ。 「復讐は熱が冷めないうちに行うべき」って好きな作品でも言ってた、だからわたしは天国も地獄も信じないけど復讐は信じる。復讐しか信じてないよ、殺すしか無いわたしには。人の家庭ぐちゃぐちゃにしてさぞ楽しかっただろうなぁ、好きな女手に入ってさぞ今しあわせだろうなぁ、なあ、おい。おかげでこっちは最悪だよ。なあ、

結局、孤独を抱きしめた結果がこれだった。わたし自身は最大限寄り添ってたつもりだった、つもりだっただけかよ。クソ。人生も人間もそんなもんかよ。こんなもんかよ。わたしが泣きながら薬を過剰摂取してたことも、泣きながら手首切ってたことも気づかないのに、知らねー他人の好意には気づくのかよ、皮肉もいい加減にしろ。入院先に戻る前にくれた手紙は全部皮肉に聞こえて(実際「これ以降の文が皮肉に聞こえたらごめん」と書かれてあった)全部わたしより明らかに相手の男の方が上だった、好意も信頼もなにもかも。わたしじゃなんにも救えないんだね、わたしじゃなんにも救えなかった。ああ、DMで相談してくれた女の子から「救われた訳じゃないけど」って言われたこともある。結局、わたしじゃなんにも救えねーんだよ、痛いほどわかってんだよ。結局人は死ぬし、最後は決まって独りだ。生きるのだって寄り添うのだって独りよがりだ。自己満のエゴなんですよ、すべて。わたしがやっているだいじょうぶ屋さんも、全て何もかも、慈善事業もボランティアも全て当てはまる。エゴです。気持ち悪い純度100%のドロドロの自己愛。気づきたくなかった、絶対わかりたくなかった。また誤った、謝った、絡まった。

わたしが何回も泣いて、おにいさんと1度ばいばいした時よりも泣いて生活もままらなくなったツケが今回ってきてる。おにいさんと台所の換気扇の下でたばこ吸いながら「おにいさんのタトゥーに似てるネイルパーツわたしのネイルにもついてんだよー」って言ってネイル見せびらかしてるあんな時間みたいな穏やかな時間がいつまでも続くわけがなかった。わかってた、本当は解ってなかった。わかりたくなかった。

わたしの全部を捧げていいから、どうか幸せでいてください。もういいです、疲れた。わたしの絶望じゃきっときみは救えない。絶望の淵に立ってぎりぎりのラインにいて、その黄色いラインを踏んでいたとしてもたぶん救えなかった。絶対救えなかった。こんなことになるなら、あの時潔く死んでおけばよかった。好きな人に救われるんじゃ無かった。勝手に救われただけのくせに。わたしなんかじゃ本質的には一人も救えないのに。表面上でしか、繋ぎ止めれないのに。わたしはどうせこのまま、わたしはだいじょうぶって言い聞かせてそれが本当になってこれからもヘラヘラ生きてくのかなって思ったら死にたくなった。時間が憎い、時間がわたしを穏やかにしてく、お願いだからこのまま死なせてくれ。あいつを憎いまま殺したいまま死なせてくれ。お願いだから勝手にしあわせになってくれ。死んでくれ。

 

 

見るに堪えなかった、手を伸ばさざるをえなかった孤独を 抱きしめた結果がこれかよ、なんて思いたくなかった。

 

 

 

 

 

 

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ケーキがぐちゃぐちゃになるのが好き

思いもよらないことが起こるのが人生だよー❤︎って地元で仲良いギャルが言ってた、うそです

無知で馬鹿なまま生きていったほうがチェンソーマンで学びました 繊細な痛みには気づいてないフリして、鈍感で鈍いまま目の前の小さい幸せにしか目がいかないように、そのしあわせが人よりも大きいしあわせに見えるように錯覚して、だいじょうぶ だってどうせ人間、すぐ死ぬんだし 嫌いないじめてきたあいつも、先生も、ストーカーしてきたあいつもぜーんぶ真似してくるあのこも全員全員、結局はしぬんですよ わかるか?人が最後に行き着くのは 死 だよ

どうせ死ぬのって運命で決まってるし、死ぬまでのひまつぶしに人生生きてるだけ、運命に抗おうとして死のうとした結果がわたしですよ 腕はズタズタ肝臓だかなんだかの内蔵は酒やら薬でお釈迦、肺は真っ黒不眠の精神疾患持ちの出来上がり おにいさんに手首撫でられながら「痕きえないね」って言われた時の不快感 喪失感 惨め、残酷、わかるか?てめーに なんもわかんねーくせに、て思いながら「しね」と心の中で舌打ちした 痕にキスされるのも噛まれるのも撫でられるのも触れられるのも呪いでしかない、「もうしないでね」という呪い 束縛だとかいう言葉じゃ表せない呪いが左腕に集中してて、呪いが痣となって可視化される あーあ肩出しの服着れなくなっちゃった

「かわいそう」って言われるためにわたしのことを話したんじゃない

「支えてあげるから」って言われるために病気のこと話したんじゃねー

わたしはだいじょうぶだから、どうかこの均衡を崩すようなばかみてーな言葉、わたしに投げつけるんじゃねえよ くそ、クソ、くそ、あの時縋ったわたしが 病気も家庭のこともぜんぶ打ち明けたわたしが馬鹿みたいじゃん、勝手に期待して馬鹿みたい 同じ熱量、同じ温度、同じエネルギー使って向き合ってくんなきゃ こっちが馬鹿になるのなんでわかんねーの?わたしに失礼だと思わないの?取っ組み合いの喧嘩もできない 熱量の一方通行、ぶん殴っても返ってこない痛み、あーあんたはこういう奴だった、知ってたはずなんだけどなー

現象に対する感度はMAXで、何事にも自分の意思があって鋭く痛い、わかってもらわなくていい きみだけが気づいてくれればいい ぜったい赦すな ぜったい話すな 離すな 馬鹿みてーな簡単な言葉は使いたくない 馬鹿になりたくない 馬鹿な言葉を使って脳死になりたくない 脳死になってそのまま衰退して終わりたくない そんな話しても馬鹿なお前は馬鹿な言葉で馬鹿な返しをしてきて、わたしが馬鹿みたいになった 惨めでしかないだろ

世界が反時計回りなのも、わたしがこれまでなぜか生き延びてんのも、あの時わたしが間違った選択したのも、ぜーんぶ運命だよ❤︎で片付けられるほど脳内お花畑じゃなかった

宗教にハマれるほど馬鹿じゃなかったから地獄みてる 可哀想に価値なんてないよ

絶望を付加価値にするな 

 

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お前に運命感じたくないし

お久しぶりです。こんにちは。最近はひたすらパソコンと向かい合って卒業制作をしたり、ネイルオイルとハンドクリーム塗るのをまた再開したり、わりとおだやか〜な毎日です。わたししか自分を大事にできないのでね。ちなみにおにいさんとは喧嘩とも言えないほどのくだらない言い合いをしたり、LINEを未読無視したりとかの些細な抵抗ばっかりしてます。みなさんはどうですかね。

わたしは基本的抽象的で読み手に想像を膨らませてもらう、空白や間隔、語尾などを掬いとってもらって広げる文しか書いてないんですが、たまには自分の文について語ってもいいですか?語りますね。

わたしがブログによって、文の構成を変えてるの気づいた人!いないと思います、そんなに構成自体気にして読むことあんまり私自身もないので。例えば「pi_nyanx12」なんかは、あれはある友達1人に向けた、その子にしか向けてないブログで、あの子への愛を語るために 好きを語るために改行は最後の1文にしかしてないです。何故ならその子への好きだとかの気持ちを語るためには改行っていう空白が邪魔するから。そこでリズム崩されたらあのブログは成り立たないので、改行一切せずに勢いで読めるブログになってます。あの子への気持ちを表したかのように。詩的な文をいれてるのは、その子が書いてたブログは詩的な文などが多かったのでそのリスペクトです。「無責任じゃなくて覚悟」、これ何回もその子に言ってる言葉で わたしがその子に対して思ってる全てを詰め込んだ言葉です。覚悟を持って愛して、許して、支え合っていこうねっていう、あれです。伝わってんのかー!?て思いながら電車の中でずーーっとバカ長い爪を液晶にカチカチポチポチしながら作りました。これが今までで1番思うように書けたかもしれないです。それでも今読み返すとここもうちょっと良い表現あったなー、とかって大体全部のブログに対して思います。

「愛してるって言わないとこが好きだった」では、おにいさんに対しての気持ちやら近況やらを短編集的な感じで書いています。あそこでは段落をつけて今までのブログよりかは読みやすくしてあります。前の「愛してるって言わないとこがすき」に繋げてのタイトルと内容になってます、愛にも満たない気持ち悪い感情の話ですね。変に言葉遊びを入れずにすんなり内容を理解できるように勢いで書いたので、「死ぬのはいまじゃないけど、ころすなら砂糖菓子の弾丸で殺してね」よりかは気持ちを汲み取ってもらいやすくなってるかな、とは思います。

今までで1番言葉遊びをしたのがその「死ぬのはいまじゃないけど、ころすなら砂糖菓子の弾丸で殺してね」だと思います。あれは誕生日に書いて、日が変わった瞬間すぐに投稿したもので 祝ってくれた人、いつもブログ読んでくれてる人に向けたものになってます。「見て見ぬふりしてただけで、ほんとはたくさんの人に愛されていたのかもね」の、かもね、の部分でまた見て見ぬふりをしてるところだったり、タイトルは桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」に掛けていたり、砂糖菓子の弾丸では死なないだろうけどそれでも愛の弾丸で殺されたいって願望だったり、「私にとってはなんの代わりもない一日で、」の「いつもと変わりない」と「代わりがない」を掛けていたり、語尾ひとつひとつ、句読点やら改行やらすべてを読んで貰えたらと思います。

「愛とか優しさに怯えんのそろそろやめる?」で最後に書いた「結局さあでも、わたしが欲しかったのって愛か死なんだとおもうよ」でも、LEONという映画に出てくるマチルダという女の子が「私が欲しいのは、愛か死よ」といった有名な言葉に掛けています。映画大好きだから、映画の台詞に掛けた言葉遊びはふんだんに使ってます。このブログでは星の王子さまだったり、ウォールフラワーだったり、作品の言葉をたくさん引用してますね。映画は有名作品はもちろん、レビューが少なかったり悪かったりする映画も気になったのは全部見てます。

「昔より尖ってないとかうるさいよ」は離人感に悩まされてた時に書いたブログですね。わたしはひねくれてるので精神病の名前を具体的に出したくなくて、(出したら世間などにひとつに纏められるので)人に聞かれたら答えるし、独り言のTwitterアカウントではバリバリに自分の精神病についてキレまくってるんですが(未だに自分が精神病だと認めたくないので)、それでも文字としてネットに残すのはやっぱり嫌で 意地でも「離人感」という言葉を出さずに離人感を表現できるか みたいなブログです。ポップな文体だけど、わりと内容暗かったりしてます。今はもう離人感に悩んでないのでこんな話できますが、基本的わたしはリアルタイムで悩んでることを直接的な表現で表したくないというか、察されたくない!でも一人で抱え込むのはむりだー!となって仄めかすような文を書いています・・・厄介ですね・・・。2020年の終わりにこんな暗いブログ書いててかわいそう。

 

文字数やばくなってきた!わたし、自分のブログを愛してるのでキリがない!わたしが死ぬ時はネットの検索履歴もTwitterもインスタも消すけど、ブログだけは消さない!今日はこの辺で❤︎閉店❤︎しましょうかね、あんまり語ると面白くないしね。やっぱりわたしは頭を使って、脳死状態じゃ読めないブログを書きたいので。でも脳死でも読めるブログも書きたい!いっぱい書きたいことある!ここまで読んでくれた人いるのかな、いたらありがとうございます。

最近はあんまりブログも書けてなかったし近況でも語っていいですか?卒業制作!卒業制作した!パソコンとマジでずーーっと向き合って、自分との戦い。やめたいやめたい逃げたい卒業したいって思いながら、アニメかけながら(余裕で2クールは見た)やってました。あとはすきなアーティストの曲の歌詞とかを考察してるブログ見漁ったりとか、小説買い漁ったり、パキって階段から落ちてクソでかい痣つくったり、家族がまた入院になったり、おにいさんに死ぬほどキレて意味がわからなくなって音信不通の真似をしたり。孤独の真似をして、ひとりになって自分だけの世界に籠ることが多くなったかもしれない。本垢から裏垢にアカウントかえるみたいに、テレビのチャンネル変えるみたいに切り替えないとほんとに壊れることがわかった。感情全て振り絞った先のことを想像もできない愚者にはお似合いのエンドロール。孤独死なんて後悔するのに だって、きっと、でGAME OVER 終わりにするしかない。

結局 信じるしかないのは自分、ですよ❤︎他人に運命握られたくないし

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